「茉莉は高嶺の花だから。」続きです。
前回までのお話は下記からどうぞ。
3.
君のいない天国よりも、君のいる地獄を選ぶ。
The hell you need is chosen from the heaven where you aren’t here.
二〇一九年 四月。
彼女達のSNSから発信された「次のライブで重大発表がある」というメッセージで、僕と友人はいてもたってもいられず、仕事終わりに急遽集まる約束を通勤中に交わしました。
これまで幾度も重大発表という字面に心を乱されてきました。今までの「重大発表」は大きな会場でのワンマンライブや、アルバムの発表など嬉しいものでしたが、この日ばかりは未来への期待よりも、もしかしたら起きるかもしれない不安を抱えていました。
仕事をそそくさと終わらせて集合場所に急ぎました。
SNSをチェックする手は携帯電話の画面にたくさんの指紋を付着させましたが、目新しい情報はありませんでした。
僕より早く店に着いた友人は既にビールをジョッキ半分にしつつ、僕と同じように手のひらの端末を擦り続けていました。
テーブルに近付くと、僕の気配に気付き顔を上げました。友人と向かいになる椅子に腰掛け、僕の分のおしぼりを持ってきた店員さんにビールを二つ注文しました。
「ライブの打ち上げ以外で飲むのは久しぶりだな。」
「まあ、キラキラッターで近況は伝わってくるからな。」
お互いに社会人二年目の春を迎えましたが、THUNDERBOLTのライブに行けば会えるという関係性は去年から変わっていませんでした。
彼女達の話題を口の代わりに親指で紡ぐという日常にも慣れてきました。しかし、いざライブの打ち上げ等、対面で話すとなると、自ずと密度の高い内容になるのはお互いに“感電”している証拠でした。
「今年で二人とも十八歳だからな…」
それまで明言を避けていた本質を口にした途端、口にじんわりとビールのそれではない苦味が込み上げてきました。
「サンボルはサンボル。何があっても大丈夫。」
友人は、僕だけではなく自分自信に言い聞かせるように言いました。
「THUNDERBOLTは逆境のユニットだから。」
お互いに「大人しくライブでの発表を待つ」という結論に落ち着き、他愛のない話でその場の気を逸らして終わらせました。
重大発表がライブ会場で告げられたその夜、僕と友人、そして同級生を含めた面識のあるファンの何名かで、近くの居酒屋に雪崩れ込みました。
「盛大にやろうじゃないか。」
意見は満場一致でした。
彼女達の口から発表されたのは、来年三月にワンマンライブを行うということ。
そして、それをもってTHUNDERBOLTは解散、更に、スターライト学園卒業と共に、二人はアイドルとしての人生にも幕を下ろすという内容でした。
運命の日は二〇二〇年三月八日 場所は数多くのアーティストがライブを行うことでも知られるBepp Tokyo。
それまでにも、もちろん別のライブや活動がたくさんあります。普段のライブはもちろん、フェスや二人の生誕ライブの準備等、それらも例年より気合を入れていこうと、誓いの盃を交わしました。
決起集会の帰り道、夜風に吹かれながらアルコールで感情のコントロールがままならない頭で思いを巡らせました。
長谷川まつりが僕の世界の中心になってから、早くも四年が経過していました。
彼女が大手企業グループの令嬢と知った時は、周りに「大手病」と揶揄されながら、長谷川グループ系列企業にエントリーシートを手あたり次第に送りました。
彼女が出演する舞台を昼夜含め全公演通い詰めるためにバイトのシフトを調整し、良い席で彼女を見たかったためしばらく食事が質素になったこともありました。
バレンタインライブでお土産として彼女から受け取ったチョコレートがしばらく食べられず友人に相談したところ、ユウさん推しの同級生から全く同じ相談をされたと言われたこともありました。また、友人も同じ悩みを抱えていました。
ライブの間隔が空いてしまった時は、飢えを凌ぐように過去のチェキアルバムを開き、あの時の接近はこうだった、この時はこういう話をしたと思い出に耽ったり、テレビ番組「アイドルお嬢様」の長谷川まつり回を幾度も繰り返して視聴したりしました。
その彼女の芸能界卒業。
長谷川まつりという名の優しい呪いにくるまっていた僕は、その発表の瞬間、膜の外に放り出されてしまった感覚に陥りました。
彼女らのステージが終わり、間髪入れずに友人や見知ったファンらに「オタク集合!」の号令を掛けられ、決起集会は楽しい思い出話を添えつつ来年に向けての前向きな話し合いが中心だったため、改めて思い出に浸っていると、思わず頬につぅ、と涙が伝いました。
それにハッと気付き、まだ泣くな、まだ泣くな、と自分自身に何度も言い聞かせました。
彼女に会える残り時間は約一年弱、これからできることを全力でやっていこう。
僕にできることは、来年三月の彼女が笑顔で「楽しかった!」と言えるように、アイドル活動を見守り、支えることだけです。
まずは、彼女のいるところに一度でも多く行けるように仕事を頑張ろう、と、自分自身と固く約束しました。
出勤中の電車内でTHUNDERBOLTの今後のライブ日程をチェックしました。
地方遠征ライブが数本入っており、すっかり慣れた手つきでそれぞれの交通手段を確保し始めました。
地方遠征の度に、僕はTHUNDERBOLTの旅に同行させてもらっていると言っても過言ではないと常々思います。
元々、用事の無い日は家にいたいという出不精な性格もあり、旅行に楽しさを見いだせないタイプの人間でした。遠征ライブは絶対楽しい現場が約束されているから行くという明確な目的と、せっかくだから少し観光しようかな、というおまけのスタンスを取っていた方が、がっつり観光するぞ、という旅よりも力まずにいられるので楽しいという事に気付きました。
また、彼女達の食事にその地域の郷土料理等があった時には、一緒に遠征している仲間とせっかくだから僕達も、と、自然な流れで同じ食事を口にすることが出来るという、僕にとっては一石二鳥以上の特典もありました。
この「大人の遠足」も来年は無くなってしまう。
出社次第スケジュールをもう一度見直し、すべてのライブ、イベントに行くんだという強い意志から、降車した後の足は自然と速まりました。
今回のライブは土日開催が比較的多いため、いくつかある平日の公演は残業せずに上がれば何も問題ないなと、予定表をモニター越しに眺めます。あとは、急な会議や案件がないことを祈るばかりです。
友人に遠征の件を連絡すると、僕と似たような状況であることと、ユウさん推しの同級生も何か所か行くとの連絡が入ったことを教えてくれました。久々に学生気分でおもいっきりTHUNDERBOLTの話ができるぞ!と心が弾み、始業前に簡単な仕事を終わらせてしまおうと、缶コーヒーを一気に飲み干しました。
運も味方して遠征ライブは無事に見届けることが出来ている最中、とある地方公演で、長谷川まつりの三年振りとなる舞台への出演が決定したと発表されました。
宇宙最速の情報解禁!とユウさんが煽りを入れ、その隣で長谷川まつりが見に来てくれると嬉しいな、と、少し照れつつも嬉しそうに話していました。
ファンはこの知らせに嬉し驚き、僕は思わずやったー!!と声を上げてしまいました。
その日のツーショットチェキは合計五回撮影し、その中の一枚のメッセージに「わたしの舞台、全通するよね?笑」と書いてありました。
彼女との接近でお互いに冗談を交えながら話せるようになったのは彼女のおかげでした。
それまで僕はずっと彼女との接近で敬語を使っていたのですが、彼女がスターライト学園の高等部に進級したお祝いのライブでの接近で「タメ口苦手じゃなかったら、タメ口で話そ!」と促されたのをきっかけに敬語を崩しました。
次第にそれにも慣れてきて、時には新曲の感想を素直に伝え彼女の花が咲いたような柔らかな笑顔を満つことが出来たり、時には彼女のSNSに投稿された自撮りに顔がめちゃくちゃ良いな?!と本気に取られそうで取られない声色を狙い伝え、彼女のふふん、と、わざとらしく胸を張るおどけた姿を拝むことが出来たりと、敬語で話していた時よりずっと、彼女との距離が縮まりつつあるという優しい虚構に思考が埋もれていきました。
舞台のチケットが発売される当日、午前十時からの販売に備え半日休暇を申請して自宅のパソコン前で時計の表示を睨み付けていました。
座席はA席、S席のエリア分け以外の座席指定が出来ないとはいえ、申し込み時間が早いほど良い席が取れるというのは三年前の舞台の際に得た知識でした。もしくは、当日券でも前から数えた方が早い列が取れる時もあるという、運勢と運営に翻弄されるゲームのような感覚です。
チケット争奪戦の幕はもうすぐ上がります。絶対に勝つ。いつの間にかかいていた手汗をズボンで拭い、パソコン上の時計の秒針が十二を指すのを待ちました。
「神様はいらっしゃるのでしょうか。」
長谷川まつりという名の美しい名と姿の少女の形をしたそれは、水面に差し込む月の明かりに見立てたスポットライトに向かってそう言いました。
舞台上の彼女は彼女ではなく、空から落ちた星の子供を、一人では近付くことさえしなかった海の外へ勇気を出して届ける人魚姫でした。
舞台の終盤、いよいよ星の子供を空に送るため、海面から半身を出すという場面。
長谷川まつりの誘い通り舞台の全日程分チケットを押さえ、この回は五回目の公演でした。このシーンは、結局最後まで人魚姫である彼女の不安な気持ちを乗り越えての大きな勇気に涙を堪えることが出来ず、終演後の物販では目を腫らした僕の様子を見て、最初こそ嬉しがっていましたが、この回では「また泣いちゃったの?」と半ば面白がっていて、こうなったら残りの公演全部泣かすから覚悟してね!と宣言されました。
彼女の思惑通り、僕はこの十日間全十四回の公演でそれまでの人生で一番涙を消費しました。
カレンダーを何度かめくるとすっかり四季も移り変わり、毎年恒例のスターライトアイドルフェスに今年もTHUNDERBOLTの出演が決定しました。
THUNDERBOLTの他にも、スターライト学園に現在所属しているアイドル、更に既に卒業し芸能界の一線で活躍する先輩アイドルの参加も発表されており、チケット争奪戦は熾烈を極めました。
スターライトチケットサイトではフェスのような大規模なライブになると、チケットは複数回、抽選によって販売されます。
この時ばかりは神様に見放されたように、最後のチャンスである二次抽選でも落選し目の前が真っ暗になりました。同じように抽選に参加していた友人が念のため二枚取っていたからと僕にチケットという名の人権を与えてくれました。
この時の高等部アイドルのライブ持ち時間は約二十五分。
通常のアイドルフェスよりも長く、彼女達の輝く姿を記憶に収めることが出来ました。
特に、飛び入りゲストとして音城セイラさんを交えたアイドル活動!のロックアレンジでは三人の個性が文字通りぶつかり合いました。
普段のライブでは歌声を抜いた音源を流すところ、音城さんがエレキギター、ユウさんがベース、長谷川まつりがキーボードという一部生演奏のスタイルとなり、普段の音源では味わえない重低音の大きさ等、アイドルフェスらしからぬ音の重なりで会場は大いに盛り上がりました。
楽しかったフェスも終盤に近付き、いよいよ、年のヘッドライナーを務めるルミナスの三人のステージが終わりました。
すると、ステージの袖から続々と今までライブを行っていたアイドル達が出てきました。もちろん、THUNDERBOLTの二人もいました。
ルミナスのメンバーである大空あかりさんが「来年もこのステージに立てるように、アイカツがんばります!」と目を輝かせて宣言したその時、THUNDERBOLTがステージを後にする時に「またね!」ではなく「じゃあね!」だったことを思い出し、ああ、来年の今頃長谷川まつりはここにいないのか、と、左右に揺らめくペンライトの残像越しに見える「アイドル」の彼女を見つめて思いました。
こうやって、思い返すと楽しかった思い出の方が多く、人生の一部分の長さでは短いかもしれませんが、僕にとっては最も濃密で刺激的な日々でした。
仕事でつらいこともありましたが、長谷川まつりが頑張っているのに僕が頑張らない理由はない、と、多少の無茶はしつつもなんとかやり過ごし、僕の生きる糧となっている彼女達の応援の妨げになるものは仕事も感情も、すべて定時以内に片を付けました。
そうやって捻出したわずかな時間にサンボルファン有志で顔を合わせ、卒業ライブに向けて水面下で準備をする日々は、その日が近づくにつれて顔を合わせて打ち合わせる頻度も月に一回から二回、三回と次第に増えていきました。
終わりが刻一刻と近付いている中、僕達は「最後の祭」までの時間を楽しみ、時には苦しみました。
思い出は未来の中にある、と歌われるように、THUNDERBOLTというユニットを彼女達が楽しかったと思えるように花道を飾りたいのです。
彼女の記憶に、いつまでも残るように。